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第165号


☆種を植える人になろう
 君たちも、何度かは種をまいたことがあるでしょう。種は、水や養分、光など適切な環境があれば、芽が出て成長し、そして花が咲きます。 とくに可憐な花々は、人に安らぎを与え、幸せな気持ちにさせます。まもなく春がやってきますが、花壇いっぱいに色とりどりの花が咲いている様は、 花をていねいに心を込めて育てた人の心までもが、あらわれているかのようです。

 そんな中で、「これは私が育てたんですよ。私が水をやり、面倒をみたのですよ」と、自慢ばかりしている人を見ると、せっかくの花の美しさは霞んでしまいます。 もちろん、その人は、一生懸命育てたのでしょう。うれしさのあまり主張したくなる気持ちはわかりますが、度を過ぎるとあまり心地よくありません。

 私の近所にも、毎年きれいに花が咲き乱れている家があります。ところが、どのような人が育てているかを知りません。その家の方を見たこともありません。 どんな方が育てているのかと興味を持ったこともありますが、花の美しさを見て、そうした思いはなくなりました。花を見れば分かる…と感じたからです。

 里山を歩くと、自然の花に混ざって、昔、誰かが植えたものが、自然に増えたのであろうという花が見られます。そうした花々は、いつしか自然と同化し、 あたかも昔からの花のように見えますが、花の種類を見ると、実はかつて誰かが植えたものだということが分かります。どんな思いでその花を植えたのかは分かりません。 その時は、自分が楽しもうと思ったのかも知れません。しかし、その花々は、確実に別の仕事をしています。もとの主人からは自立して、道行く人に楽しませるかのように、 懸命に咲き誇っているのです。花を植えた人も、植えたことすら忘れているでしょう。種をまいたのか、球根や苗を植えたのかは分かりません。 しかし、その人に「私が植えた。私が育てた…」という思いは、もはやないでしょう。

 『花を愛でるのは自分ではなくてよい。道行く人が楽しんでもらえばそれだけでよい』と思える人は立派です。『自分は実を摘むことができなくても、後の人々ができるならば、 それで満足…』と心の底から思える人は尊敬される人です。こうした人を徳があるというのです。

 時に自己主張することは大切です。しかし、そうでない場面で自分というものを全面に出すと、まわりの人は一歩引いてしまうのです。 花は、誰も褒めてくれなくても季節がくれば咲き誇ります。そうした花を見て、優しく愛おしい気持ちを持てば、花も喜び、さらに美しく咲こうとするかも知れません。 しかし、花は人に見返りを求めることはしません。「私がきれいに咲いたのだから…」と、人間に何かを求めることはしません。 あくまで、静かに、そして力強く咲き誇っているのです。

 君たちも、種を植えたら、丹誠込めて育ててください。時に草花に声をかけ、思いを込めるのも良いでしょう。 そして、華麗な花が咲いたら、「花よありがとう」と感謝を捧げましょう。しかし、くれぐれも自分が植えた花だ、自分が育てた花だ、と思わないようにしてください。 植えたことは忘れることです。育てたことは忘れることです。美しく咲いた花を見れば、きっと、そんなことは、いかにちっぽけなことであるかが分かります。

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このページの更新履歴

2019/01/04 修正
2006/02/20 公開


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