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教育講話記録 自己責任と平静心

 今日は、先のトラブルを受けて、学年として何らかのけじめをつけるために、君たちにぜひとも考えてもらいたいことを中心として、私が話をすることになりました。どうか素直な気持ちで、聞いてください。

 素直になるとは、「どうして自分が呼び出しをされるのか」とか、「自分は悪くない。相手のせいでこうなったのだ」などという気持ちは持たない、ということです。 人のせいにすることは、簡単なことです。人や環境のせいにすることは、何にも努力がいらないからです。何でも人のせいにすることができます。何でも環境のせいにすることができます。 しかし、君たちが意志を持たない、心を持たない、機械やロボットだったらならば、確かにそのようなこともありましょうけれども、そうではありません。 君たちは人間なのです。心があります。自分で考えることができます。そして、その意志で行動することができます。…ということは、そこに自己責任が生じるということです。 自由にものを考えることができる、その考えに基づいて言葉を出すことができる、行動することができる、ということは、その言葉、行動のもとになっているのは、自分自身の意志、 心の状態ですから、必ずや君たち自分自身にも責任はあるのです。 これを「自己責任」というのです。

 集団のなかで生活をしているということは、必ず自分以外の存在がありますから、たとえ二人であっても、兄弟であっても、家族であっても、学校であっても、自己責任は生じるのです。 その大小はありましょう。五十パーセントくらいかな、とか三十パーセントくらいかな、とかその割合はありますけれども、ゼロではありません。必ずあります。 そう、思う中に、自分が改善し、発展し、向上する余地があるのです。「自分の責任はありません」という中には、自分を見つめることがありませんから、反省もなければ、向上もありません。 人間は、常に向上を目指しているのですから、この自己責任という部分は、絶対に見失ってはならないのです。まずは、百パーセント人のせい、環境のせいということはあり得ない…ということを知って下さい。 そして、たとえその割合が、自分にとっては小さいものであったとしても、自らが向上し、成長してゆく過程においては、その何パーセントかの過ちを、受け止め、改善してゆかなければならないのだ、 ということ知ってください。

 世の中には、人のせい環境のせいにする人たちが満ちあふれています。そうした大人がたくさんいます。家族でもそうかも知れない、先生たちでもそうかも知れない。 しかし、そうした大人の生き方は正しくないのです。私はあなた方に言う。『たとえ一パーセントでも、自分に非があるのであれば、それを受け止めなさい。 その非を二度と繰り返すまい。この間違いを教訓として、向上してゆこう。もっとよくなってゆこう。立派になって行こう』そう思っていただきたい。これが一点目です。

 次に「心の平静」という話をします。今回なぜ、このように大きな事件として取り上げられることになってしまったか…ということですが、簡単に言うと、君たちの心がちょっと病んでいたからです。 病んでいたというと少し大げさに聞こえるかも知れませんが、このままだともっと大きな病気になってしまう、ということです。それは、「怒り」という感情を、長く持ってしまったということなのです。

 「怒りなんて、誰でもが持つだろう。みんな怒っているよ。みんなキレるよ。何が悪いの」と思うかも知れません。そうです。確かにそうです。みんな怒ります。 怒りの感情を持たない人間などいません。君たちの友達のなかでも、よくキレる人もいるでしょう。親でも先生でもそうかも知れません。 しかし、この「怒り」感情が、常に、二十四時間湧き起こっていたらどうなると思いますか。学校だけもいいです。 学校にいる間、すべての人間が、生徒も先生もみんなが、この怒りの感情を持ち続けていたらどうなるでしょうか。 目はつり上がり、血走り、人を見たら悪人と思う、友達だって、いつ何をするかわらかない、悪いことをするんじゃないか、だまされるんじゃないか、 その中にいて同じように怒っている人にとっては、その異常はわからないのです。 しかし、君たちが冷静になっているときに、例えば今の状態のような時に、そうした集団に一人入り込んだらどうなるでしょうか。 まわりの人がどう見えるでしょうか。怖いでしょう。近寄りがたいでしょう。できたらこの場を去りたいな…と思うでしょう。 学校は楽しくないでしょうね。常にびくびくしていないといけない。いつ、どこで、誰が怒鳴るか分からない。 それも何か失敗したときの、教え諭すために叱られるのではなく、怒りのための怒りがぶつけられる…想像すると恐ろしい世界です。 怒っている人の心は波立っています。心拍数も高くなっています。 なぜなら深呼吸しながら怒ることができる人はいませんから、怒りの波動のなかにまみれている人は、心の海が台風の時のしけの状態になっているのです。 当然、その怒りは伝染する可能性もあります。すると、みんな心が波立ってしまうことになります。 人間はこうした心の波だった状態では、心の平安は得られません。心が波立った状態、落ち着くことができますか。できないのです。 心穏やかになれますか。できません。冷静になれますか。できません。人のことがよく見えますか。見えません。見えるのは人の欠点、悪い部分だけです。

 このように怒りという感情を持つことで、心が乱れ、冷静さを欠き、自分自身の心までもむしばんでいることになるのです。そして、その期間が、怒りの期間が長ければ長いほど、人間は苦しくなります。 悩みとして思い続けることになります。人のことばかりが悪く見えます。人のせいにしたくなります。

 どうですか。先ほどお話しした自己責任とは反対の感情でしょう。つまり、自分を見失う、ということなのです。自分中心のものの考え方しかできなくなるのです。 反省などできません。だから怖いのです。自分で自分を蝕んでいる、傷つけていることになるのです。

 怒りの感情を持つな、とは言いません。しかし、それが出てきたら、すぐに抑えることです。長く持たないことです。「待てよ。自分にも悪い部分はないのな」と、とっさに振り返ることです。 その時間が短ければ短いほどいいのです。今回は一日以上でした。それが半日になり、一時間になり、一分になり、一秒になり、ほんの一瞬になってほしいのです。 ほんの一瞬であれば、怒りの感情を持たないことと、ほぼ同じになるのです。

 君たちの心は無風状態の湖の湖面のような、そんな鏡のようにしておかなければならないのです。そうでなければ、正しく物事を判断できません。 波立っていたら、鏡にはならないのでしょう。そこに映された映像は、現実のものとは違うでしょう。その現実とは違う映像を見てしまったら、誤った判断をすることになります。 人を正しく見ることができなくなります。よく「見方がゆがんでいる」と言われる人がいますが、そうした人は、正しく心の鏡で映すことができない人なのです。 つまり、心が波立っている人なのです。いつも心を鏡のようにして、決して波立たせないことです。 たとえ小石が投げ込まれたとしても、すぐ整えることです。さっと心を静めて、もとの鏡の状態を維持することです。これは努力してそうするのです。 いつも風が吹いていて湖面が波立っていたり、自らの心状態によって大波を起こしてはいけません。

 怒りの感情は心を波立たせます。もちろん、これ以外にも心を波立たせてしまう感情はいくらでもあります。もう自分で分かるはずです。 自分の心が波立ったときのその感情は、抑えなくてはなりません。

 激しい言葉、悪意に満ちた言葉を投げかけられることもありましょう。しかし、そのときに、応酬しないことです。自らの心をさらに乱します。 時には沈黙も必要です。売り言葉に買い言葉になるから、どんどん波立ってゆくのです。誤解だってありましょう。 本当に相手を落としいれるための言葉や行動なんて、ほとんどありません。人間の一生の中で一回あるかないか、です。

 どうか、これからは「心を整える」ということに努力する人生であってください。心の平静を持ってください。

 自己責任と平静心という話をしました。恐らくこれが、私からの卒業祝いの言葉になりましょう。よくよく心にとめて欲しいと思います。

 
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このページの更新履歴

2019/01/04 修正
2005/10/20 リニューアル
2005/10/15 公開


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